私のオピニオン
大村 智

Satoshi Omura
北里大学特別栄誉教授 ノーベル生理学・医学賞受賞

「農家は科学者です」と語るのは、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智さん。農業は、計画と行動で成り立つ科学に似ていると指摘します。感染症治療薬「イベルメクチン」を開発し、10億人以上を失明から救い、畜産業の発展に貢献した大村さんに日本農業への思いを伺いました。

農業などを通して、本物の感動をした経験が、人間として、科学者の糧として、今も生かされています。

農業は科学的な営み〜農家は科学者〜

 私の研究は、土の中の微生物を集め、培養し、人の役に立つ化合物を探すことです。土を相手にするという点で、農家と科学者の仕事はよく似ています。良質な農産物を実らせるには田んぼや畑の微生物の働きが必要です。農家は土の中の微生物と向き合いながら、日々の農作業に取り組んでいるのです。そういう意味から「農業は科学的な営み」であり、「農家は科学者」なのです。
 どこの土に良い微生物がいるのか分からないので、いつもスプーンとビニール袋を持ち歩き、出かける先々で土を採取していました。米国の製薬会社メルクと共同研究を行い、1974年、静岡県の土壌から化合物「エバーメクチン」を発見し、1981年、視力低下、盲目を引き起こす感染症「オンコセルカ症」の治療薬「イベルメクチン」の開発につなげました。その後、イベルメクチンは「リンパ系フィラリア症」(象皮症)にも有効なことが判明しました。祖母から「人の役に立つ人間になりなさい」と教えられて育ちました。研究者になってからも祖母の教えを使命にして研究に打ち込んできたので、2004年、アフリカ・ガーナを訪れ、薬のおかげで失明を免れた大勢の子どもに囲まれたとき「人の役に立つことをしたのだ」と実感し、感銘を覚えました。「イベルメクチン」は、メルク社と私ども北里研究所から世界保健機関(WHO)に無償提供され、アフリカにおいて年間3億人余に使われています。これまでに10億人以上を2つの熱帯病から救い、2020年代には病気が撲滅されると予測されています。線虫類やダニ、ウジなど寄生虫にも高い効果があり、動物用の駆虫剤として、世界の畜産業の発展にも大きく貢献しています。
 私は山梨県神山村(現:韮崎にらさき市)の農家出身で、5人きょうだいの長男です。実家の周りには、今も田園風景が広がり、八ヶ岳や富士山を望める風光明媚めいびなところです。幼い頃から父親に農業や馬の世話などを厳しく教え込まれ、一人前の農家になるようにと育てられました。
 今から思えば、農業は、計画と行動で成り立つ科学と似ており、知らず知らずのうちに科学者としての素養を身に付けました。しかし、農作業は重労働で、とてもつらかった。「馬でなく、機械を使えば、楽になれるのに......」と思いながら、具体的な農機のイメージまで考えました。ところが、技術の進歩が私の想像以上に速く、優れた機能を有するトラクターやコンバインが現実のものとなりました。「今だけでなく、未来を見据えて、物事を考えなければいけない」と学びました。この教訓は、農業を経験したからこそ得られたもので、科学者のかてとして、今も生かされています。

“情緒”を養う農村の美しい眺望

 日頃の農家の働きにより、人を感動させる棚田や里山などの美しい農村の風景が守られるのです。詩人・大岡信の言葉に「眺望は人を養う」とありますが、まさにその通りです。“人間らしさ”は「情緒」によって育まれるのです。情緒を養うには、幼少期から自然に触れて、何かを感じることが大切です。ロボットが人間に近づき、人工知能(AI)が人類の知能を超えるという“シンギュラリティ”が注目されていますが、私は、逆に人間がロボットに近づいていることを懸念しています。スマートフォンばかりに夢中になり、本物の感動を身に付ける機会が損なわれているからです。人生で一番大事なことは、物事に感動することです。感動することがなかったら、人間は生きる意味がないのです。
 田んぼや畑で土に触れ、農作物を収穫する体験は、子どもの心(情緒)を豊かにするのに役立ちます。農業には、将来を担う子どもの教育面でも大きな役割を担っているのです。美しい眺望の先には農業があるのです。農家の皆さんには、自然環境を守っているという自覚と誇りを持ってもらいたいです。

「求めなければ、授からない」

 1981年、旧社団法人北里研究所の監事に就き、経営内容を詳しく見る立場になりました。しかし、経営は研究と全く違う仕事で、研究者としてやってきたことだけで太刀打ちできるほど生易しいものではありません。大学教授として、人に負けないだけの仕事をしてきた自負はありましたが、経営に関しては素人でしたので、会計や財務、経営学の本を読みあさり、専門の先生や企業経営者から教えてもらい、猛烈に勉強しました。実際に、勉強したことを生かせたという実感はあります。私は「経営を研究」したと思っています。
 新しいポジションで最善を尽くすためには、必ず「学び」が必要です。「大村さんは何でもできる人だ」と言われることもありますが、成功するには、自分がどういう立場にいるのかという責務を自覚することが大事です。そして、それにふさわしい力をつけなければいけないので、学びを積み重ねただけなのです。
経営者として、厳しい経営状態にあった北里研究所の再建にも取り組みました。反発もありましたが、私の信条は「実践躬行じっせんきゅうこう」です。「言い出したら、進んで自身が実行すること」を表します。格好いいことを言うのは簡単ですが、実行に移すことは難しい。一度やると決めたことに全力で取り組んでいると、信頼が生まれ、理解を得られるようになりました。2008年、北里研究所と北里大学の法人を統合するという難事を成し遂げて研究所所長を退任しました。
「求めなければ、授からない」という言葉があります。何事にも「こうなりたい」という目標を立て、自ら努力しなければ成果を得られないという意味です。ノーベル賞の授賞式の関連行事に、スウェーデン王室による晩餐ばんさん会(ロイヤル・バンケット)があります。横に座られたシルヴィア王妃は、母親がブラジル人だと説明された上で、「ブラジルの桃は小さかったが、日本からの移民が作るようになってからは大きくなった。勤勉で素晴らしい」と、ジェスチャーを交えて笑顔で話しかけてくれました。
「優れた農産物を作りたい」という“高い志”を持って、移民の農家が徹底的に努力したことが実を結んだのです。「至誠天に通ず」という言葉のように、どのような境遇にあっても、何事にも誠実に取り組む日本人の姿勢は、世界で高く評価されています。私は、これこそ「日本農業の強み」だと思っています。
 農家の皆さんは、未来に向けて、新しい栽培技術を身に付けるなど、常に努力することが必要です。とはいえ、何の手掛かりもなく、将来像を描くのは難しいです。JAには、農家が「こうありたい」という目標を定めるに当たって、参考になる情報を提供することが求められています。

農家が「こうなりたい」という“高い志”を抱き、徹底的に努力することが「日本農業の強み」です。

大村先生のノーベル賞受賞に関して詳しくは、「北里研究所 北里大学」の特設サイトをご覧ください。
https://www.kitasato-u.ac.jp/nobelprize/

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