仲間とリスクを分担し、新しいことや理念の追求にチャレンジできるのも“協同組合の強み”です。

農家に「ディグニティ」(尊厳)を

 グローバリズムの荒波の中、新自由主義と対峙たいじし、地域で真剣に農業と向き合う生産者を助けることが、JAの役割です。農家が「Dignityディグニティ」(尊厳)を持って生きていけるようにするのです。
 日本の農業は、アメリカを中心とした多国籍企業による化学肥料と農薬に依存するのではなく、物質的にも理念的にも独立する必要があります。今のままでは、多国籍企業にもてあそばれるままです。そもそも「化学肥料と農薬に依存した農業」を変えないと地球と人間がもちません。JAには、農業のやり方を抜本的に変える「旗振り役」を担ってもらいたい。しかし、読者の中には「化学肥料や農薬を使用しなければ、収穫(収入)が減少する」「理想論だ」と反論される方もいるでしょう。私も今すぐに化学肥料、農薬をゼロにすることは現実的ではないと思っています。10年、20年、30年でいいので、徐々に削減する計画(タイムスケジュール)をつくり、取り組めば良いのです。「土壌の持つ力」「仲間との助け合い」「地域の潜在能力」を生かせば、新しい生産システムを提示できるはずです。仲間とリスクを分担することで、新しいこと、理念の追求にチャレンジできるのも“協同組合の強み”です。

想像力と幅広い視点で「農」を捉える

 食料自給率は大事な問題です。しかし、食べさせる(飢えさせない)対象を「国民」に限定することは危険です。「食と農」は、人間を生かすためでなく、苦しめる(生かさない)手段にもなるからです。ナチス・ドイツが自給自足を推進し、「食料自給率100%」を目指していたことをご存じでしたか?ドイツは第一次世界大戦で約76万人の餓死者を出した不幸な歴史があり、「子どもたちを飢えさせない」と選挙で訴え、ナチスは政権を得たのです。国民の飢えの経験(記憶)が政権基盤になりました。しかし、ここでの「国民」はアーリア人で、「食」を通じて人種の選別、排除を行い、ユダヤ人は飢えてもよいという「飢餓政策」を導入し、強制収容所(アウシュヴィッツ等)での大虐殺につながったのです。「食と農」はグローバル化しており、従来の「国民」という枠組みだけで捉えていては、問題は解決できません。日本国籍を持たない消費者が、日本産の農産物を国内外で食べています。農業の現場でも外国人労働者が生産を支えています。農家やJAの皆さんは、すでにその存在がグローバルであり、地球規模の問題に立ち向かうべき存在なのです。「食と農」の未来を考えるには、100年単位の歴史で捉えないと分かりません。近視眼的でなく、少なくとも、子どもたちが大人になる頃には、このような農業にしたいという強靭きょうじんな理念と計画が必要になります。
 あと、貧困問題が深刻化する中、JAには、命と人権を守ることを理念とした「地域の食堂」を運営してほしいですね。農業の現場では、出荷されない多くの規格外農産物が廃棄されています。それらを有効活用して、安価な料理を提供すれば、人を大切にして、生かすことができるのです。

ふじはら・たつし

1976年、北海道生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。京都大学人文科学研究所助手、東京大学大学院農学生命科学研究科講師を経て現職。専門は農業技術史、食の思想史、環境史、ドイツ現代史。著書に『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『ナチスのキッチン』『食べること考えること』(共に共和国)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル)、『トラクターの世界史』(中公新書)など。好きな食べ物は、マーボー豆腐。

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