私のオピニオン
福岡伸一

Shin-Ichi Fukuoka
分子生物学者、青山学院大学教授

「変わらないために変わり続けている」という生命観に基づく「動的平衡」の思考を提唱する分子生物学者の福岡伸一さん。食べることは、生きることそのものだからこそ、農業の在り方は、社会の重要な問題であると指摘しています。JA役職員が「動的平衡」の思考から学ぶべきことを伺いました。

生命にとって、作ることより壊すことが大事です。自ら壊して、作り直すことで、38億年永らえたのです。

変わらないために変わり続けている

 私たちは、何のために食べるのでしょうか。疲れているときは、体力回復のため、カロリーの高い肉料理を食べたくなりますね。しかし、自動車にとってのガソリンのように、食べ物は、単なるエネルギー源であると考えるのは誤りです。私たちは、食べることで、自分自身を構成する細胞を壊しながら、食べ物として摂取した分子と置き換え、常に新しい細胞に更新し続けているのです。
 つまり、身体のあらゆる組織や細胞の中身を作り直すために食べるのです。例えば、消化管の細胞はたった2、3日で作り替えられます。1年もたつと、筋肉や肝臓、さらには骨や歯など、昨年の私たちを形作っていた分子の大半が入れ替えられ、現在の私たちは、物質的には“別人” になっているのです。
 ナチスドイツからアメリカに亡命した科学者ルドルフ・シェーンハイマー(1898~1941年)は、この食べ物に含まれる分子が身体の構成成分となり、次の瞬間には身体の外に抜け出すことを見いだし、その分子の流れこそが「生きている」ことだと初めて明らかにしたのです。これは生物学の「パラダイムシフト(非連続な劇的変化)」で、研究者の着眼点が、生命(細胞)の合成から分解に移ったのです。
 2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典先生のオートファジー(細胞自食作用)研究の意義が、生命にとって重要なのは、作ることより壊すことにあります。細胞が自らを壊し、分解する定常的・恒常的なシステムを解明したのです。私は、分子の合成と分解を絶え間なく行いながら、常に一定の状態(秩序)が維持される生命の営みを「動的平衡」と定義しました。生命は、放っておくと細胞に老廃物がたまるなど変調が起こるので、自ら先回りして、細胞をどんどん壊し、分解し、更新するのです。
 生命が地球に出現して以来、38億年もの長きにわたって連綿と存続したのは、細胞がいかなる状況でも、絶えず自らを壊して、作り替える“危ういバランス” にあるからです。丈夫だから長持ちしているのではありません。生命は「変わらないために変わり続けている」のです。
「何を食べるのか」は、自分自身の「動的平衡」を維持することで重要になるので、日々の食事をおろそかにできません。「なんじとは、汝の食べた物そのものである」ということわざが西洋にあります。食べ物が私たちのありように大きな影響を与えていることを指しているのですが、文学的な比喩としてだけでなく、生物学的にも極めて正確な表現です。私たちの身体は、どんな細部であっても、それを構成する細胞は元をたどると食べ物に由来する元素です。何を食べるのかは、「どう生きるか」につながります。食は生命そのものなのです。だからこそ、食料を生産する農業の在り方は、社会にとって重要な問題であるのです。

今の幸福が、未来の不幸になることも

 ここで小休止。宇宙人になったつもりで、ちょっと想像力を働かせてください。地球上で最も繁栄している生命体は何だと思いますか。私たちは、当然、人間だと考えますが、実は、トウモロコシや大豆、小麦、米などの穀物の方が人間よりも総重量(生産量25.7億t)が多いのです。穀物の多くは人間が農作物として栽培しているものです。宇宙人からは、穀物が戦略的に人間を利用して、自らを存続させているように見えるのかもしれません。地球規模の人口が増え、食料需要が膨らむ中、70億人の人類を養うには、それだけ大量の穀物(消費量26.2億t)が必要になっているのです。
 そのため、農業分野では、効率的に農作物を収穫するため、幾つかのバイオテクノロジーが導入されています。その一つが「遺伝子組み換え作物」です。これは、食べた直後に何か異常が起こるという急激な毒性はないかもしれませんが、全く別の遺伝子を導入することは、「動的平衡」に不自然な負荷をかけるのです。作物の中で通常とは違う変化が起きて、食品の中にあっては困る新しい物質が作られる恐れも否定できません。
 そもそもバイオテクノロジーが生命を制御(支配)することはできません。例えば、除草剤などの農薬に耐性を持つ雑草が現れるのも、「動的平衡」によって薬効を無力化するよう進化し、リベンジしてくるのです。人間によるテクノロジーの開発と生物の進化の間で堂々巡りになっても、最後は、生物の「動的平衡」がテクノロジーに勝るのです。
 人間は、せいぜい自分が生きる期間の“時間軸” でしか物事を捉えることができません。数百、数千、いやそれ以上の悠久な時間が流れている自然環境を相手にする農業に1年や数年という短期間の時間軸の指標を持ち込むことがなじまないのは、生産者がよく知っています。農業に限らず、効率や利益の最大化を求めると、どうしても“近視眼的” なモノサシで価値判断しがちです。る時点の「今の幸福」が、長い時間がたってみると、社会全体に「不幸」をもたらしてしまったことは、公害病など過去にも多くあります。遺伝子組み換え作物など生態系に影響を及ぼすことが懸念されるバイオテクノロジーは、長い時間軸で慎重に評価すべき、と私は考えています。

バイオテクノロジーが生命を制御することはできません。「動的平衡」によって進化し、リベンジするのです。

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