私のオピニオン
丸山俊一

Shunichi Maruyama
NHKエンタープライズ 番組開発エグゼクティブ・プロデューサー

「リンゴを高く売ることに夢中になっているうちに、リンゴの味を忘れてしまったのか?」という意味深なナレーションが流れたNHK BSの『欲望の資本主義』シリーズを企画した丸山俊一さん。グローバル資本主義が席巻するこの時代、私たちは何を考え、何を大切にして生きていけばよいのか。「資本主義の本質」を踏まえ、語っていただきました。

ポスト産業資本主義では、時に農畜産物の価格でさえ、「交換価値」の論理で決まる「錯覚」が生まれます。

“根源的な問い”を立てる

 2016年から『欲望の資本主義』という異色の教養ドキュメンタリーを制作し、今年の正月には第4弾を放送しました。
 冷戦構造解体後の四半世紀あまり、皮肉にもストッパーの役割を果たしていた社会主義の壁が崩壊し、テクノロジーの進歩に伴い、加速度的に進んだグローバル資本主義は、地球上を市場の網で覆い、まるで席巻するアメーバのようです。富の集中、社会に広がるへいそく感、リーマンショックにも象徴される資本主義の行き詰まりも指摘され、「資本主義のしゅうえん」さえ主張する経済学者もいます。番組では、資本主義の先行きが不透明となり、われわれを取り巻く経済論理も見えにくくなっている時代に、改めて「資本主義とは?」「欲望とは?」「人類はどこに行こうとしているのか?」という“根源的な問い”を立ててみようと考えました。時代の様相が変化するときこそ、次代を開くヒントや新たな認識の可能性は、常に“根源的な問い” から始まるのです。

交換価値と使用価値を取り違える錯覚

 そもそも資本主義は、欲望が欲望を生むシステムという言い方もできると思います。殊に第3次産業が主流となるポスト産業社会と言われるような現代の資本主義では、人の「感情」さえ「商品化」されるということがしばしば起こり、こうした「欲望のスパイラル」が起きやすいと言えるのかもしれません。買い手がいる限り「商品」が生まれ、さまざまなモノが商品化されていく。そのこと自体は市場の自由を保障する健全な動きで否定はできませんが、人と人を結ぶサービス、そこに生まれる「共感」という無形の感情が市場の「主力商品」となるという時代状況には、少し慎重になった方がよいでしょう。
 例えば「使用価値」と「交換価値」という概念があります。使用価値は、モノが持つ本来の価値、例えば農産物なら、それが持つ味や栄養素などです。交換価値は市場で取引される価格で、売り手と買い手が合意することで決まる価値というわけですね。無形のサービスが商品になる第3次産業でもその市場の論理は変わらないわけですが、その時、使用価と交換価値の関係はねじれ、大きく揺れ動きます。なぜなら、そこでの使用価値の根拠は、人の感情という、極めてぶれやすいものにあるのですから。
 例えば人気のコンサートは、数十万円以上の価値を見いだす人もいれば、全く関心のない人には価値そのものが生じない、ゼロ円です。気が変わることもあるでしょう。絶賛から酷評へ……、その逆もあるかもしれません。つまり、ある時間、ある空間を過ごす「満足感」という人間の感動体験という商品は、その価値の決定が主観的なものに大きく依存してしまうのです。
 感情によって生み出された一時的な高揚感、熱狂、カタルシスなどが商品となって、その主観的な価値を高めるほどに、市場での「交換価値」も上昇し、そのことが体験の満足度を高め、さらに主観的な価値を高めるという「倒錯」を生み出すこともあるかもしれません。
 例えば、1個100円だったリンゴが、人気タレントに由来するブランド名を付けるとか、こだわりの方法で栽培しているなどの「情報」が付加されたりすると1,000円でも売れることもあるのかもしれませんね。価格を決めるのはリンゴの味覚(使用価値)でなく買い手の満足感(交換価値)で、その本質的な価値さえも決まるという「錯覚」が生まれるのです。「交換価値」こそが価値だという「錯覚」は、ポスト産業資本主義のシステムにあっては、日常的な現象だと言えます。リンゴを例に挙げましたが、さまざまな市場で「交換価値」の論理によって取引される比重がどんどん高まり、人間の体験、共感、感情が市場の中で交換可能なモノや情報に置き換わり、「商品」「消費財」となりやすいのです。ネット社会、SNSなどの影響で、感情は拡散、増幅し、「交換価値」を高めること自体が、一つの「使用価値」であるという「錯覚」が生まれる条件がそろっています。目的と手段が逆転する状況が生まれているとも言えるでしょう。
 しかし、こうした「錯覚」によって資本主義は日々更新され、人々の自由を実現しているという側面も否めないのは先に触れた通りです。このジレンマに安易な結論を出そうとしてはいけません。資本主義は、常に2つのレベルのさくそう、パラドックスを先送りしながら、やり過ごしていくことで、何とか保たれているのです。白か黒かの二択の「結論は出さなくてもいい」のです。大切なのは、思考停止しないで、「問い」を立て、考察、思考を続けることです。

結論を出さないことが重要で、大切なのは思考停止しないで、“根源的な問い”を立て考察を続けることです。

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