私のオピニオン
安齋隆

Takashi Anzai
セブン銀行 特別顧問

コンビニにATMを設置する画期的な銀行の立ち上げに挑戦した安齋隆さん。平成の金融界のレジェンドは、少年時代、「地域になくてはならない組織」としての「農協の存在意義」を父から教わりました。厳しい環境下での改革や事業創造を成功に導く“鍵”について、ご自身の生い立ちとキャリアを交えながら、話を伺いました。

少年時代、「地域になくてはならない組織」としての「農協の存在意義」を父から教わりました。

子ども銀行で「村のために」農協を選ぶ

 皆さんはコンビニエンスストアに設置されているATMを使ったことがありますか? わざわざ銀行に足を運ぶことなく、買い物ついでにお金の出し入れができて、とても便利です。セブン銀行は、お客さまの声に応え続けてきたことで、ATMの設置台数は2万5,152、提携金融機関等は615(2019年3月末)、年間の利用件数は約8 億件に達するなど、セブン銀行をはじめとしたコンビニのATM網は、社会に欠かせない生活インフラに成長しました。今では信じられない話ですが、2001年の創業時、金融界では、小売業による新銀行は「うまくいかない」という厳しい指摘ばかりだったのです。小さく生んで元気に育てる“親” として、セブン銀行を元気な会社に育てたと自負しています。1963年、金融界に飛び込んでから56年間、異なるタイプの3つの銀行で仕事をしてきました。生い立ちとキャリアを振り返りながら、厳しい環境下での改革や事業創造を成功に導く“鍵” について話をしましょう。まずは小学生のとき「子ども銀行」の「頭取」になったエピソードからです。
 1941年1月17日、福島県上川崎村(現・二本松市)で6人きょうだいの3番目の次男として生まれました。生後まもなく医者もさじを投げるほどひどい肺炎にかかったのですが、母の必死の看病のおかげで九死に一生を得ました。母から何度もこの話を聞かされたこともあり、禅の思想にも通じる「今日生涯」(今日が人生最後の日)という言葉を自分で考え、座右の銘として行動しています。
 実家は米農家で農閑期の養蚕と村の特産である和紙作りを副業にしていました。農家の息子だからでしょうか、50代までは40坪ほどの小さな庭で野菜を作っていました。父は農協の役員を務めましたが、職員の不正を穴埋めするため、山を売ったこともありました。「地域になくてはならない組織」としての「農協の存在意義」を父から教わりました。
 当時の政府は戦後復興の資金を集めるため、貯蓄増強運動を推進していて、各地の小学校で「子ども銀行」が設立されました。親から預かったお金を持ち寄り、毎月、まとめて金融機関に預ける仕組みですが、私は「頭取」として、農協を選びました。預けたお金が直接、村の役に立つからです。日本銀行で民間銀行の経営内容を検査する考査役を担当したとき、金もうけばかりを考えている銀行や企業は、経営が悪化することに気付き、「組織は何のために存在しているのか」を突き詰め、“経営理念” を強く意識するようになったのですが、子ども銀行の頭取として、「村のために」農協を選んだことが「原点」だったのです。

人生のターニングポイント

 文学の同人誌を発行していた父の影響を受けて、中学生になってからは農作業の手伝いをしながら、文学に没頭するようになりました。実家にあった土蔵の中はまるで図書館のようで、戦死した叔父と父が集めた倉田百三、有島武郎、夏目漱石などの文豪の本が並んでいました。中でも志賀直哉の『暗夜行路』の主人公には、強い意志で生き抜こうとする姿に感銘を受けました。千葉県我孫子市に40年近く住んでいるのですが、志賀直哉が『暗夜行路』を執筆したという縁のある土地であったことも影響しています。多感な年頃の読書は、世界を広げ、意識を高めることに役立ちました。
 両親は、私が商業高校に通い地元の銀行に就職することを望んでいました。当時は大学に進学することが、まだまだ珍しい時代だったのですが「安齋君には大学に通ってもらいたい」と、担任の先生が両親を説得して、普通高校(福島県立安達高校)に進学することになりました。両親の望み通りになっていたら、今とは全く異なる人生を歩んでいたことでしょう。
 1959年、東北大学法学部に進学し、司法試験に取り組みました。勉強の合間に社交ダンスやマックス・ウェーバーをドイツ語で読む勉強会に夢中になりました。そんな姿を見て、現役で司法試験に合格するのは難しいと心配した友人が申し込んでくれたのか、今でも定かでないのですが、知らないうちに日本銀行の採用試験を受けることになったのです。金融のことは全く知識がなかったのですが、法曹界より日銀の方が広い世界で仕事ができるかもしれないと期待が膨らみ、心が揺れ始めたとき、司法試験の合格の知らせが届きました。まさに運命のいたずらです。面接官に日銀に入りたいと語ったこともあり、約束を守らねばならないとの思いも強く、迷わず日銀を選びました。高校進学と同様にこの選択は“人生のターニングポイント” になりました。

厳しい改革に臨むリーダーは隠し事をしないこと。頻繁にメッセージを送り、組織内で意識と情報の共有に努めます。

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