私のオピニオン
桑原悠

Haruka Kuwabara
新潟県津南町 町長

「私がやるのだ」。全国最年少町長としてメディアからも注目される桑原悠さんは、2児の母親として「子どもたちが希望と可能性を感じる町で育ってほしい」という「強い思い」を抱いて町長に就きました。閉塞感に挑むため、町民と対話をしながら、起業など「新しい流れ」を促し、若い人が住み続けたい町を目指します。

「頭はグローバルに、足は大地に」緒方貞子さんの言葉が、私を「故郷の地域づくり」に導いてくれました。

田舎の農家の娘、農業体験が私の「強み」

 新潟県津南町という所をご存じでしょうか。長野県との境にある山間地の町で3~4mの積雪のある全国で有数の豪雪地帯です。冬の間は雪に閉じ込められることもありますが、地下に浸透した雪解け水が大地に湧き出し、耕地を潤し、特産のコシヒカリ、雪下ニンジン、アスパラガス、トウモロコシ、枝豆など「雪の恵み」を育んでくれます。津南町は「農をもって立町の基とす」を町是とする「農業立町」で、国による農地の基盤整備が進み、稲作だけでなく、園芸や養豚も盛んで、県内有数の農業地帯です。農業は基幹産業で、町のアイデンティティーです。
 実家は兼業農家で、祖父母、両親、弟の6人家族みんなで夏野菜の収穫、選別、出荷を行うことで、季節の訪れを感じることができました。幼いころから、農業は生活の中にあり、農作業をすることは大好きでした。好奇心旺盛な子どもで、小学5 年生のとき、好物の納豆を異なる発酵条件で大豆から作ったこともありました。実家で採れたての野菜を食べたことは大きな思い出で、東京の大学院で地方自治を学んでいたころ、周りの仲間は都会出身の秀才が多く、私のような「田舎の農家の娘」は稀有な存在でした。でも、それが私の「強み」であると気付き、強みを生かせば、故郷の町づくりに役立てられると思い、政治の世界に挑むようになりました。まずは、津南町の町長に就くまでのストーリーをお話しします。

少女時代の憧れだった緒方貞子さん

 両親は共に新潟県内の農業高校出身で結婚してすぐに私を授かりました。食卓で社会問題を話し合うような家庭環境で、私も自然と国内外の出来事に関心を持つようになりました。中学生のころ、祖父から国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの著書を借りて読みました。世界の紛争地で絶えず弱者に寄り添う姿勢に尊敬の念を抱くようになり、常日頃、両親から「視野を広く持つように」と言われていたこともあり、将来は緒方さんのように国連で働きたいと夢見るようになりました。向学心にスイッチが入り、懸命に勉強するようになりました。
 2003年7月、高校2年生のとき、憧れの存在である緒方貞子さんが、「大地の芸術祭」での講演のため、地元の越後妻有つまり(十日町市・津南町)を訪れたのです。直接、緒方さんの言葉を聞ける貴重な機会で、私の座右の銘となる「頭はグローバルに、足は大地に」という言葉に出合いました。緒方さんのメッセージに感化され、まさに足元の故郷の地域づくりにも関心を持つようになりました。早稲田大学、オレゴン大学(留学)、東京大学大学院では国内外の政治、公共政策を勉強し、将来は地方自治に関する仕事に就きたい、と考えるようになったとき、「転機」が訪れたのです。2011年、東日本大震災の翌日、3月12日未明に津南町が震度6の揺れに襲われた長野県北部地震でした。

希望や可能性を感じる町で育ってほしい

 東日本大震災が起きたとき、東大の図書館にいて、本棚が大きく揺れて怖かったのを覚えています。翌日の未明に自宅にたどり着き、テレビをつけると、被災した故郷の惨状が映し出されました。「もう、この世の終わりだ。早く帰って手伝わなくては」と、居ても立ってもいられず津南に帰ったのですが、思いをよそに家族が作ってくれた野菜料理が心に染みました。それで分かったのです。「農家の娘」であることと東京で学んだ経験をつなぎ合わせれば、たとえ若くて、微力であっても、震災前から人口減や衰退が進む故郷の「復興」の役に立てるのではないか、と。在学中でしたが、2011年10月の町議選に立候補することを決断しました。
 当時25歳で「若い、しかも女性で大丈夫か」と、町民の皆さんから心配されましたが、「新しい時代をつくる」という強い意志で、懸念する人たちに納得してもらい、ハードルを越え、前に進むことができました。町議に就いてからは、重要な議論が行われているのに、身近な存在ではなかった議会の「見える化」に努めました。財政的に小さな町でも耐えられる低価格のシステムで議会のインターネット中継を提案し、実現しました。また、結婚し、2児を出産したこともあり、議員の産休制度を創設する議会規則を提案し、変更しました。私の後にも若い女性に町議になってもらいたいので、障壁を取り除きたかったのです。

 6年半の町議時代は、地方自治のキャリアを積みましたが、痛感したのは過疎化の深刻さで、現在の人口は約9,800人で、ピークだった1955年(昭和30年)から半減し、65歳以上が約4割で、人口減少に歯止めがかかりません。2児の母親になって、「子どもたちのために何ができるのか」という視点が加わりました。子どもたちが閉塞へいそく感のある町でなく、希望や可能性を感じる町で育ってもらいたい。大人になったとき、良い町になったと思ってもらいたい。それには、今から変わらないと間に合わない。ならば、自分で変えるしかない、という「強い思い」を抱くようになりました。「町政に新風を吹き込んで」という支援もあり、2018年6月の町長選に立候補しました。「人生経験が浅い、小さい子どもがいるのに大丈夫か」という懸念も、「子どもたちのために」という強い思いで押し切りました。誰が何と言おうと「強い思い」を持てたのは、女だから、母親だからというのが大きかったと思います。体が焼けるような経験をして、子どもを産み出したことは尊いことで、大きな自信になりました。
 2度の町議選とは異なり、町のトップとして試された厳しい選挙でした。町民の顔が見えるのは、小規模の自治体の選挙ならではで、「新しい時代をつくるには、皆さんの参加が欠かせません」と呼び掛け、一人一人と向き合い、じっくり話を聞きました。子育てへの支援の要望が目立ちましたが、印象深かったのは、仕事との両立に悩んでいるお母さんの声で、「子どもが病気になったとき、とてもつらい思いをした。安心して、働きながら子育てできる環境が必要」と、涙ながらに訴えてくれる人もいました。

母親として「子どもたちのために何ができるのか」という視点を得たことで、町長として「強い思い」を抱くことができました。

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