私のオピニオン
田中優子

Yuko Tanaka
法政大学総長

情報番組での着物姿が印象的な法政大学総長の田中優子さん。「農村の多様性は、社会の豊かさとつながっている」と、食料や「もの」の自給力の低下に警鐘を鳴らします。新しい時代は、多様な能力の組み合わせが必要で、女性、外国人、障がい者などが特性を発揮できる社会を提言しています。

農村に多様性がなくなると、自国で何も作れない輸入依存に。食料や「もの」の自給力低下は国の衰退につながります。

農業の技術と知識を継承する意義

 これからの社会の発展には多様性(ダイバーシティー)への対応が必須で、農業、農村の多様性は社会の豊かさと密接につながっています。それは、日本の強みである「ものづくり」の問題でもあるからです。
 研究者として私の専門分野は江戸文化・文学なのですが、江戸時代の農業はものすごい発展を遂げました。それは生活基盤として農業の技術と知識が集積されて、世代、地域を超えて、しっかりと継承されたからです。農村にはあらゆる世代がいて、子供組こどもぐみ若衆わかしゅ娘組むすめぐみ宮座みやざなど、若者から長老まで、年齢、世代ごとに多様なコミュニティー、互助組織があり、その中で農業技術と知識は、生活の知恵として継承されていきました。
 江戸時代は農耕社会で、手工業が盛んでした。家族単位でそれぞれが「ものづくり」を行い、農村は食べ物だけでなく布や紙、陶器など「もの」も生産しており、農民は“熟練の職人” でもあったのです。農業の技術革新に取り組んだ農学者・大蔵永常おおくらながつねの「綿圃要務めんぽようむ」のように、肥料、養蚕、綿花などを題材にした膨大な数の「農書」が出版され、優れた農書が全国に行き渡りました。これらの大半は農民自身が書いたもので、地域の風土によって異なる技術を独り占めするのではなく、他の地域と情報を共有して国全体で農業を発展させて、生産量を上げていこうという農民や農学者の強い意志があったのです。
 近代の工業化社会になると、工場に労働者が集められたことで、若者が農村からいなくなり、生活の知恵としての多様な農業技術や知識が継承されなくなりました。例えば、次世代に綿花栽培が継承されないことは、農作物としての綿花が失われるだけでなく、綿糸を編む道具や職人がいなくなり、木綿織物の作り方も分からなくなる“負の連鎖” が次々と起こるのです。今や日本では一部の地域を除いて綿花の栽培が行われなくなっています。技術や知識が継承されないことは、「もの」の消滅とつながり、農業だけでなく「ものづくり」の問題でもあるのです。江戸時代の日本は世界的に見ても、経済成長率も高い豊かな国で、食べ物や「もの」は自給自足で輸入品は不要でした。農業、農村における多様性の消滅は、自国で何も作れない“輸入依存” に陥ります。食料を中心として「もの」の自給力が低下することは、社会の潜在能力、豊かさを失わせていくことになり、国の衰退につながっていくのです。

誰もが「ユニバーサルマナー」を

 動植物は気候変動に大きく左右されるため、農業は種の多様性の確保が必要です。経済のため意図的に多様性を排除すると、環境に及ぼす影響、弊害は大きくなります。戦後、日本の林業では大規模な伐採が行われたことで、今や現存するブナ林は世界遺産の白神などわずかです。お米はコシヒカリ系だけでは、とても危険で、多様な品種を栽培すべきです。存亡の危機にひんする日本の養蚕業を守るには、多様な蚕品種の保存に懸かっています。多様性が排除されると全てが失われてしまうのです。人間も例外ではなく、多様性の確保が大切で、ある民族や人種だけが残ったとしても、消滅してしまえば人類は終わりです。
 日本政府は少子高齢化による労働力不足から外国人労働者の受け入れ拡大を決めましたが、反対運動が起こるなど、多様性の確保とは正反対の排除の動きが起こっています。私たちの社会は、他の国や地域から“異なる民”を受け入れ、混血を繰り返してきた歴史があります。文化や価値観の流動性が高まることに加えて遺伝的にも健全性が保たれるのです。それがなければ“衰微” していくだけで「自分たちだけが正しく、絶対だ」という国は消滅の道を歩むのです。
 少子化の時代、私たちは日本で働きたいと思う外国人を受け入れ、人権を守り、尊厳を高めることが必要になっています。そのため、生活するための日本語の教育と差別を生じさせない労働法規を制定することです。農業の現場でも多くの外国人が従事していますが、積み上げてきた農業技術と知識を継承し、畏怖、畏敬の念など日本独特の自然観を共有していくことが大事になります。外国人が地域に定着して、新たな家族を築くことができれば、少子化や過疎化の解消も期待できます。
「ユニバーサルマナー」という言葉を聞いたことがありますか。
 障がいのある人や高齢者、外国人など、多様な他者の意思を尊重して行動することで、今を生きる私たちに大切な考え方です。「障がいは人ではなく、環境にある」という言葉がありますが、これまでの経済成長時代の「生産性に貢献する人が必要」という価値観では、障がい者の問題を「わが事」として捉えることができませんでした。人間を健常者と障がい者に分けることが、そもそもおかしいことで、人生100年時代を迎える中、生産性の向上に貢献できる期間は、一生のうち、せいぜい3分の1ぐらいで、生涯で身体的、精神的に痛手を受け、誰もが「障がい者」になる可能性が高くなる時期があるのです。そう考えると誰もが人生のどこかで「ユニバーサルマナー」の恩恵を受けることになり、相手の意思を尊重して、互いを補い合うことは、生きる上で欠かせないものになるのです。
 江戸時代には人権や障がい者福祉という概念がなく、専門の施設や道具は少なく、特別な配慮はありませんでした。目の不自由な人たち自らが編成した「当道とうどう座」という互助組織では、師弟関係による職業訓練が行われ、盲目であっても鍼灸しんきゅう医や演奏家など一人前の職人として活躍し、生きることができたのです。当道とは「わが道」という意味で、欠けたものを補うのではなく、持っている特性を生かすことで社会に受け入れられたのです。特定の価値観に合致した画一的なものではなく、多様な能力を柔軟に組み合わせることが、これからの新しい時代の社会をつくっていくのです。

「障がい」を補うのではなく、一人一人の特性を生かすこと。新しい時代は、多様な能力を柔軟に組み合わせることが必要です。

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