私のオピニオン
安田菜津紀

Natsuki Yasuda
フォトジャーナリスト(Dialogue for People 所属)

「伝える仕事の役割は、声を上げられない人たちを置き去りにしないで、その思いを多くの人に伝えること」と語る安田菜津紀さんは、東日本大震災の被災地、中東の戦禍の現場で「温かな食卓を共に囲む意味」を考えてきました。「安いものを大量に」という誰かの幸福を搾取して実現する思考を超えるため「優しい選択」をすることは、私たちの「日常」ともつながっているのです。

伝える仕事の役割は、声を上げられない人たちを置き去りにしないで、その思いを多くの人に伝えることです。

写真の力で「無関心」から「関心」に

 16歳のとき、国際協力や人道支援を行うNPOのプログラムでカンボジアに派遣してもらいました。その頃の私は、中学時代に肉親2人を亡くしたこともあり、「家族とは何か」と、もやもやした気持ちを抱え続け、心が乱れて模索する日々でした。全く異なる環境で生きる同世代の人たちと触れ合うことで「答え」にたどり着けるかもしれないと思い、吸い寄せられるように応募しました。現地は内戦終結から10年余りで、出会ったのは、貧困家庭に生まれ、人身売買され、壮絶な虐待を受けた人たちでした。中には売春を強要された少女もいました。彼、彼女たちは苦しみや痛みを受けてきたのにもかかわらず、それでも「家族を守りたい」と語るのです。その優しさと強さに衝撃を受け、私も家族や友人に優しくありたい、優しさを配れる人でありたい、と強く思うようになりました。カンボジアでは、出会った人たちから人として大切なことを教えてもらいました。
 帰国後、カンボジアの人たちとの出会いを同世代の仲間に伝えたい。その思いがあふれ出て、カンボジアで撮った「写真」を高校のクラスメートに見てもらったところ、深刻な内容にもかかわらず、話に耳を傾けてくれました。写真は一瞬で人の目に映り込み、「無関心」から「関心」へと、人の心を引き寄せる力があります。この出来事をきっかけに「写真の力」を信じるようになりました。縁あって出会えた人を撮ることで、その人の思いを伝えていこうという決意を固めたのでした。
 伝える仕事の役割は、大きな声をさらに大きくするのではなく、声を上げられない人たちの声や痛みを置き去りにしないことだと思います。代弁というとおこがましいのですが、フォトジャーナリストとして、私が撮った写真が弱い立場にある人たちの拡声器になって、声を、思いを多くの人たちに伝えていきたい、と思っています。
 現在、朝日新聞「論座」のウェブサイト※で、故郷や慣れ親しんだ家を追われ、日本に逃れ、生きている難民の人たちの思いを伝える連載を寄稿しています。記事を執筆する上で、「難民問題」と聞けば、遠い国の大変な問題というぼんやりした輪郭で語られることがほとんどで、どうしたら難民の人たちに心を寄せることができるだろうか。そんなことを考える中で、ふと思い出したのが取材で訪れたシリアの食堂で味わった朝食の定番「ファラーフェル(ひよこ豆のコロッケ)」でした。食べ物は情報を受け取る側にとって間口が広いテーマです。硬い問題であっても食を切り口にすれば「関心」にたどり着けるのではないか。東京の街中にはエスニック料理店が並び、食文化が多様だからこそ、「食」を通じて海を越えて日本へ逃れてきた難民の人たちとの心の距離を縮めることができるのかもしれない、と思うようになったのです。やむなく切り離された故郷の味から人はどんな思い出が浮かぶのだろうか。連載では、難民の人たちが大切にしている故郷の食文化を軸にお伝えすることにしたのです。
 このような思いに至った原点には、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、各地の避難所や仮設住宅を巡り、内戦の地であるシリア、イラク、ヨルダンの難民キャンプに通うことで「温かな食卓を共に囲む意味」を考えてきたことがあります。私が見てきた食を巡る現状を通じて、食文化の大切さ、日本の食の在り方についてお話ししていきます。

食べることは「心の栄養」を取ること

 東日本大震災の被災地の岩手県陸前高田市は、パートナー(夫)の両親が震災当時に暮らしていたこともあり、最初は取材というより、捜索や復興支援のために通い続けたのですが、何を発信していいのか分からないという戸惑いもありました。何度もお邪魔するうちに仮設住宅のばあちゃんたちと顔を合わせるようになり、親しくなる人が増えました。お茶を飲みながら一緒に時間を過ごす中でシャッターを切るのが自然になっていきました。「そういえば震災起きてから魚一回も食べていないんだよね。海が怖くて」と話してくれた人がいました。改めて、食べることが人の心持ちを大きく左右することを感じました。
 避難所の食事は、震災直後など限られた条件では、まずはおなかを満たすことが優先で、お弁当やパンなど冷たいものが主になります。ただ数か月経過すると、毎日毎日、冷たい食事が続くことは気持ち的につらいですし、胃腸を壊す高齢の方もいました。ある避難所では、被災されたお母さんたちが「自分たちでできることをやろう」と栄養たっぷりの野菜スープを作ったところ避難所の空気感が柔らかくなったのです。同じカロリーを取れば、身体は同じように生きられるかもしれません。しかし、温かい食べ物を皆で囲んで食べるのと、冷たいものを一人でぽつんと口に入れるのでは、湧き上がるエネルギーが全く違うものになるのです。食に質を求めるのは一見するとぜいたくに思われるかもしれません。しかし、食事が身体の栄養の役割を果たすだけでなく、「心の栄養」に密接に結び付いていることを取材で実感しました。
 2011年から内戦が厳しくなったシリアでは国外に逃れた難民は500万人を超え、隣国ヨルダンでは70万人が避難生活を送っています。紛争が長期化することで国際社会からの支援集めも困難を極め、難民キャンプでは食料品と交換できるWFP(世界食糧計画)のフードクーポンも年々、減らされています。ガスの設備が不足していることもあり、安価で日持ちするパンや缶詰など冷たく乾いたものばかりで、食べるものを自分で選択できないのです。戦闘地域から離れて身の安全は守られたとしても、食からの温かみを感じられずに8年間暮らすと、人の精神状態にも影響を及ぼします。
 シリアでは、休日に親戚や友人が手料理を持ち寄り、一緒に食卓を囲むことで人間関係のきずなを深めていました。日常の暮らし、食事が揺らぐことで、人と人とのつながりも失われます。想像してみてください。食事が心の栄養であることを考えたとき、「明日も生きていたい」と思える環境とは何かが見えてくるのではないでしょうか。
 シリアには内戦前の2008年から取材しており、友人も多くいます。昨年の3月、クルド人が多く暮らす北東部を8年ぶりに訪ね、食堂で懐かしい「ファラーフェル」を口にした瞬間、私が知っている内戦前のシリアの温かい空気感を思い起こし、懐かしい気持ち、抑えきれない感情が一気にこみ上がり、涙が止まらなくなってしまいました。食べることは、心の奥深くに眠っていた思い出や記憶を優しく呼び起こしてくれる「豊かな文化」であると気付かせてくれました。

食事が身体の栄養の役割を果たすだけでなく、「心の栄養」に密接に結び付いていることを被災地や戦禍の現場で実感しました。

※朝日新聞「論座」のウェブサイトで「記憶を宿す故郷の味―日本で生きる難民の人々―」を連載中。https://webronza.asahi.com/authors/2018083000003.html

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