私のオピニオン
梯 久美子

Kakehashi Kumiko
ノンフィクション作家

寄稿 自著を語る
歴史の地層の上を走る

めぐり合う時間 宮沢賢治の旅を追って

 タイトルの「サガレン」とは、サハリンの古い呼び名です。
 サハリンは北海道の北に位置する、南北に細長い島。その南半分はかつて日本の統治下にあり、樺太と呼ばれていました。いま、この文章を読んでくださっている方の中にも、戦後、樺太から引き揚げてきた方や、その親族の方がいらっしゃるかもしれません。
 現在はロシアが統治するこの島を、私はこの3年間、毎年訪ねています。
 最初の旅では、寝台急行「サハリン号」に乗って、かつての国境線である北緯50度線を越えました。そして、翌年の2回目の旅では、1923(大正12)年の夏にこの地を旅した宮沢賢治の足跡をたどりました。
 この2回の旅を中心に、樺太/サハリンの歴史と現在の姿、この地をかつて旅した人々のことを書いたのが、この本です。

 私は北海道で育ちました。樺太出身の方が多く住むところで、地理的にもサハリンに近い。北海道とサハリンを隔てる宗谷海峡は、狭いところでは43kmしかありません。
 けれども、実際には近くて遠い存在です。歴史的な空白期間があるからです。国境の島であるサハリンは、長く外国人が立ち入ることができず、日本人が旅行できるようになったのは、1989(昭和64/平成元)年以降のことです。
 私がサハリンに行ってみたいと思ったのは、樺太時代に日本が敷設した鉄道に興味があったからです。
 私は鉄道が好きな、いわゆる「乘り鉄」なのですが、歩く鉄道旅も愛好しています。廃止になった鉄道、つまり廃線の跡をたどる旅です。
 国内で60か所ほどの廃線跡を訪ねたあと、今度はいわゆる「外地」の鉄道を巡ってみたいと思うようになりました。
 戦前・戦中に日本が敷設した鉄道が残っているのは、台湾、サハリン、旧満州。まずサハリンに行ってみようと思った理由は、どんなところなのか、行ってみないと分からなかったこと。いまもサハリンに関する情報は少なく、旅行で訪れる人も多くありません。大好きな鉄道を通して、日本の近現代史にとって重要でありながら、あまり注目されず、資料も少ないこの島のことを知りたいと思ったのです。
 1度目の旅は、サハリン最大の都市であるユジノサハリンスク(樺太時代の豊原)を出発し、50度線を越えて、島の北部のノグリキまで行きました。およそ600km、片道12時間の鉄道旅です。
 サハリンを南北に貫くこの鉄道は、旧国境の南側は日本が、北側はソ連が敷設したもの。国境線の近くは、日ソ両軍が終戦間際に突貫工事で敷いた部分です。それが現在まで引き継がれて使われているのです。
 樺太だった部分は、日本語とロシア語の2つの駅名を持っています。歴史に翻弄ほんろうされた国境の島ならではの鉄道であり、この線路の上を走ることは、歴史の地層の上を走ることなのです。
 そうしたことを抜きにしても、北の果ての島を走る寝台急行の旅は、心ときめくものでした。4人部屋のコンパートメントでは、先住民族であるニブフ(ギリヤーク)の血を引く人と乗り合わせ、伝統的な口琴の演奏を聴かせてもらいました。

 宮沢賢治も、この島で鉄道旅をしました。賢治も実は鉄道オタク。宗谷海峡に連絡船が就航し、本州―北海道―樺太が鉄道で一本につながったその年に、花巻駅から汽車に乗り、当時の樺太最北端の駅(それは日本最北端の駅であることを意味しました)である栄浜を目指しました。
 このときの賢治は、最愛の妹を病気で亡くしてからまだ1年もたっていない時期。旅の間に多くの詩を書いていますが、旅の前半では、亡き妹を思って慟哭どうこくするような、暗く悲しい詩ばかりです。
 それが、樺太に上陸してからは、透明な明るさを感じさせる内容になっていきます。
 夏の樺太のどこまでも青い空、光る風、木々の緑とあざやかな花たち。賢治が描写したそれらを、2度目の旅では、私も存分に感じ、その美しさを味わうことができました。
 賢治がたどり着いた栄浜には、川が運んできた琥珀こはくが落ちています。オホーツクの波音を聞きながら、琥珀探しをしました。たぶん賢治も同じように、ここで琥珀を拾ったことでしょう。
 旅から帰り、改めてさまざまな資料を読むうちに、賢治が鉄道で通ったのと同じルートを、かのチェーホフも旅していたことが分かりました。賢治の33年前のことです。チェーホフの時代はまだ鉄道が開通しておらず、馬車と徒歩でしたが、彼が通った道の上に線路が敷かれ、そこを賢治が通ったのです。
 柳田国男や金田一京助、林芙美子、そして、皇太子時代の昭和天皇も、このルートを通って旅をしました。
 意外な歴史を秘めたサハリン。その魅力の一端を、この本から知っていただければと思います。

かけはし・くみこ

1961(昭和36)年、熊本市生まれ。北海道大学文学部卒業後、編集者を経て文筆業に。2006年『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。米、英、仏、伊など世界8か国で翻訳出版されている。著書は『昭和二十年夏、僕は兵士だった』『昭和の遺書 55人の魂の記録』『百年の手紙 日本人が遺したことば』『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞受賞)、『原民喜 死と愛と孤独の肖像』など多数。趣味の鉄道旅をテーマにした『廃線紀行―もうひとつの鉄道旅』がある。

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