私のオピニオン
三浦瑠麗

Miura Lully
国際政治学者

寄稿 自著を語る
言葉の力を信じていたい

私にしかくみ取れない言葉を伝える

 カラマツの落ち葉が降り積もる一本道。ほの暗いでこぼこの砂利道のどん詰まりに建てた家の庭で、私はひたすら小石をふるい、腐葉土をすき込み、土を耕していた。まるで、その延々と続く作業が胸にたまったものを取り去ってくれるかのように。冬は雪かきをした。腰のあたりまで埋まってしまうほど大雪が降った朝、納屋まで続く道を掘るために、まだ小さな子どもが雪にうずもれないよう赤いそりに載せたままスコップをふるった。夕方には通り道にところどころキャンドルをともし、毛布にくるまって空を仰いでは星を眺めた。
 思えばあの家で無心に過ごした時間が、私の巣ごもりのときだった。長い暗い冬を抜けてちいさな命を手にした私は、ただ娘をで、心の中に栄養をめていた。ある日、私は自分が言葉を手にしていることに気付き、パソコンを開いて本を書き始めた。いや、それははじめ本ではなくて、ただひねり出した言葉にすぎなかったのかもしれない。私の仕事というのは、そのようにして始まったのだった。
 『私の考え』は週刊新潮の連載を元にしている。当時コラムニストとしては駆け出しであった私は、編集者に連絡をもらってホテルのラウンジで会い、連載執筆の依頼を受けた。2017年から2018年は、公のキャリアでもプライベートでも苦しい年だったのだが、週ごとに自分の考えを記していく作業は仕事を続けていく上での突っかい棒のようになっていた。政治、社会、女性問題までさまざまなことが起こるたび、私は考えをつづった。そうこうしているうち、担当者が妻の介護のために週刊誌を去った。奥さんは重い病を得ておられ、余命がわずかであった。
 そのとき、私は自分のエッセーが、毎週彼に原稿を届けるという、具体的な読み手の想定なしには成り立たなかったことに気付いた。奇異に思われるかもしれないが、私は担当を外れる彼に何か言葉を贈りたくて、初めて死産した長女のことを週刊誌に書いたのだった。どちらかというと不器用な私にできることは、自分の心の大切な一部を切り取って彼に渡すことしかない、そう感じたからだ。だから、はじめから私のコラムの言葉は身近な人に語りかけるために書かれたものだった。
 「考え」というものは、その人からできている。いわゆる見解、意見が違うことはままあっても、その人の考えということになると、賛否という枠組みだけで語ることはできない。その人が考えるようなことや、その人自身に関心がないとか、憎むということはあっても、その人でできた言葉をわがもののように扱うことはできないからだ。
 ときにつぶやくように、ときに正義感からはっきり言いすぎるほどに書いてきたコラムの連載が終了したとき、私は少しほっとした。すでに、自分の考えや文章との付き合い方は覚えていた。また巣ごもりをして、考えをしばらく寝かせるときなのかもしれないと思ったのだ。戦争と平和に関する研究の本を書き上げるのに集中し始めていたからというのもあった。
 ところが、連載終了から1年ほどして私はまたエッセーを書き始めた。あるとき、独立編集者の方が連絡をくれて、女についての本を書かないかと打診してくれたのがきっかけだった。女として生きることと、口をつぐまないことの両立、女性であることを否定もせず、そこにまつわる困難から目を背けもしない生き方というものを、態度ではなくて書き言葉に表してほしいということだった。
 戦争と平和、アメリカや日本政治のさまざま、あるいは女性の置かれた地位などについては書いてきたし、子育てコラムは別途持っていたけれども、自分自身の人生について書くというのは、あの個人的なメッセージ以外に考えたことがなかった。特段、何かを隠して生きてきたわけではない。けれども、あえて自身を忠実に開示して見せることで、自分の中で育んできた考えが伝わることもあるかもしれない、そう思った。どこの出版社に頼むかは後で一緒に考えよう、とにかく書いてみてほしい、ということだった。
 私の政治評論は、触れば血が出るようだ、と書かれたことがある。言葉の刃で人を切ると評されたこともある。確かに、世間が弱者やおとなしい人の利益を切り捨てがちであることも、政党が合理的な戦略を持たないことも、それ故に目を背けられる物事があることも、変わらない人間に対する諦めも、私が心の底から感じたことをほとばしるように言い、書いてきた。
 でも、それは自分が優れていると思っているからではない。そうした言葉は、人生を生きる上で私自身に対する嫌悪や後悔も含めて、人間というものを見つめてきた結果から生まれてきたものであった。何か大きな正義を振りかざしているというよりは、経験し、見聞きしてきた事象を内面的に反すうするプロセスから生まれた言葉だということを、読者の方々に伝えたかった。
 原稿を書き上げた私は、久しぶりに週刊新潮の元担当者に連絡をした。彼が妻をちょうど1年前に見送ったことを知っていた。声をかけてくださった編集者と彼と2 人の編集者に恵まれ、『孤独の意味も、女であることの味わいも』が出たとき、やはりさまざまな批判も中傷もあったのだが、それでもうれしかった。3人でこの本を一緒につくる仕事ができたこと、そして私が身近な人々に、あるいは過去の自分に対して語りかけた言葉が、多くの知らない読者に届いていったことがうれしかったのだ。人々は孤独に生きているが、言葉の力は、音楽と同じように心に伝わるということを信じていたい。

みうら・るり

1980年、神奈川県生まれ。県立湘南高校に進学。東京大学農学部を卒業後、同公共政策大学院および同大学院法学政治学研究科を修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、2019年より山猫総合研究所代表取締役。国際政治学者として各メディアで活躍する一方、旺盛な執筆、言論活動を続ける。2017年、第18回正論新風賞受賞。『シビリアンの戦争』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和』(新潮社)など著書多数。
山猫総合研究所HP https://yamaneko.co.jp/

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