私のオピニオン
桜木紫乃

Sakuragi Shino
作家

自著を語る わたしにとっての家族ってなんだろう。

 改めて考えるには正直なところ重たいテーマです。
 「今回は桜木さんにとっての家族というものをじっくり掘り下げるお話にしましょう」
 そう言ったのは『ホテルローヤル』を世に出した担当編集者でした。彼女が認知症のお母様を見送ったばかりのころでした。いま思えば書き手の筆を通して、どこかたどり着きたい場所があったのかもしれず、けれど胸のうちはほとんど話さない私たち。あいだに原稿を挟むことが最も良い関係ということもあり、ふたり二人三脚で取り組んだ連載となりました。
 『家族じまい』という、あるようでなかったタイトルで書くにあたり、けっこうきつい作業になるという予感はあったのですが、ひとつの家族をとりまく視点を五人据えることで、実にさまざまな角度からひと組の老夫婦を眺めることができました。その老夫婦とは、恥ずかしながら筆者の両親でした。

 物語は、遠方に住む長女が「ママがボケちゃった」という妹からの電話を受け取るところから始まります。みなそれぞれ家庭を持っているゆえに、わかり合えたりわかり合えなかったり。姉妹とはいえ生きる上での価値観は大きく違うと思うことが多いです。ここは実に「自分」を出さざるを得ないシーンになりました。
 フィクションとして書いていながら、実は同じ頃にわたしの実母も認知症を発症しました。電話の向こうで、娘のわたしの名前を忘れてしまった母のうろたえた声は、今もよく覚えています。不思議と少しも悲しくなかったことも。母に名前を忘れられた娘が思ったことは「ああ、五十年余りかけて母とふたりで描いてきた絵の、余白が見えてきた」でした。
 母と娘という関係のなか、ふたりにあった良いことも悪いことも、母は忘れてゆきます。彼女が若き嫁として奮闘していた時代のことも、当然のようにあったしゅうとめ小姑こじゅうとからのきつい態度も、わがまま三昧の昭和の男の妻として苦しかったあれもこれも、母は生きているうちに忘れることが出来るのでした。心が苦しいまま、誰かを恨んだまま、最期まで呪詛じゅその言葉を吐くことはない。 母の認知症を知った長女としてのわたしの心情は、そんなふうにふわふわとしたものでした。

 

本の中の出来事はほとんど虚構として構築していますが、祈るような気持ちで書いたシーンがあります。
 北海道の道東という、交通事情があまり豊かではないところに住む父は、八十三になるいまも車の運転をしています。そろそろ車を手放してはどうか、という娘の言葉に耳を貸すことはありません。いまのわたしは高齢者の運転、事故、という単語にとても敏感です。二十四時間、いつ電話が鳴っても嫌な想像ばかり。親に運転をめてもらう、ということがどれだけ大変か。報道にみる高齢者ドライバーのニュースの多さに胸が痛む毎日を過ごしているのでした。夫の両親も今年八十五歳になりますが、ふたりとも運転をします。これはもう心配というより、もはや恐怖となっている我が家の大問題です。
 プライドが残っているということは親も元気なのだ、と言い聞かせていますが、それも気休めでしかなく。報道をみれば、この問題は北海道に限ったことでもなさそうです。八十過ぎの老人が車を買えてしまう現実にも、怖さを感じています。売る方にも生活があることを、よくよく承知していても、です。第四章では、そのドキドキした気持ちを保ちながら、できる限り客観的な立場で高齢者ドライバーに寄り添ってみました。尊厳、という言葉が浮かび上がり、より動悸どうきが激しくなった、というのが正直なところでした。

 生きる上でのルールは、親と子でも、同じ親から生まれた子供同士でも違う。これは、結婚して子供をふたり育てての素直な感想です。「家族」はお互いのルールを知る作業で、時間の経過とともに緩やかだけれどはっきりと変化してゆきます。
 誰かの娘で、誰かの親で、誰かの妻であるわたしも、いつか家族で描いてきた絵に思いも寄らない余白を与えることになるのでしょう。
 「家族」って、面倒くさいです。
 他人から見てあきらかに面倒くさい人間であるわたし、その家族も面倒くさい人間ぞろいです。「助け合って生きて行く」なんていう言葉はもはや美しい飾りでしかない。もうここまできたら、季節を過ぎた洋服をきれいに畳んで積んでおける棚を見つけるしかないのでしょう。
 「家族じまい」の「しまい」は「おしまい」ではなく「仕舞い」です。店じまい同様に、そこで得た確かな関係と記憶と、学んだことのあれこれは残ってゆく。一冊となったいま、そこから出発する関係もまた、あるのだと信じられるのでした。

さくらぎ・しの

1965年北海道釧路市生まれ。中学生のときに原田康子の『挽歌』に影響を受ける。高校卒業後裁判所に勤務し、24歳で結婚、専業主婦に。2児を出産後に文芸誌『北海文学』の同人として活動し、2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞、2007年『氷平線』で単行本デビュー、2013年『ラブレス』(第19回島清恋愛文学賞)、『ホテルローヤル』(第149回直木三十五賞)、2016年『蛇行する月』(第1回北海道ゆかりの本大賞)、最新作は『家族じまい』(集英社)。『ホテルローヤル』が映画化、11月13日から全国公開予定。『ホテルローヤル』(集英社文庫)発行:集英社定価:500円(+税)『家族じまい』発行:集英社定価:1,600円(+税)2

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