私のオピニオン
小川 糸

Ogawa Ito
作家

自著を語る 幸せの思い出と味わう「最後のおやつ」

“朗らかな死”を迎えるために

 『つるかめ助産院』という命が誕生する場所を舞台に物語を書いた2010年以降、それと対になるような物語をいつかは書いてみたいと思っていました。
 死を描く作品を書くきっかけは、がんを患い、余命を宣告された母が口にした「死ぬのが怖い」という言葉でした。死には自分自身の死である「主観的な死」と、周囲の人たちの死である「客観的な死」の2種類があると思っています。同じ死でも全くの別物で、違う意味の捉え方ができます。
私は家族や友人、愛犬の死にはとても恐怖を感じますが、自分自身の死には恐怖を感じませんでした。そんな私に「死ぬのが怖い」という母の言葉は、厳格な人であった故とても驚きでした。でも一般的には母と同じように死ぬのが怖いと感じている人の方が多いのです。今は昔と違って多くの人が病院で亡くなり、家族の死の瞬間であっても、立ち会い、寄り添うことができない時代です。死が暗幕に覆われ見えなくなっていて、得体の知れないものになっています。だから、死とは何か、死の受容のプロセスを知ることで、死の恐怖は軽減されるのではないでしょうか。死には「怖い」「悲しい」「つらい」という漠然としたイメージとは異なる大きな力、魔法の力があるのではないか。死は闇でもあり光でもあることを描きたかったのです。『ライオンのおやつ』を読んだ人が、いつか来る死が怖くなくなるようになれば、と思っています。

 作品を書くときは、全体に漂うイメージ、物語のオーラのようなものを考えています。『ライオンのおやつ』ではおかゆです。お粥を欲するのは心身ともに弱っているときで、食べることで生きていてよかったという気持ちになります。作品の中でも小豆のお粥が出てくるのですが、お粥のように滋養があって、心にも体にもぽかぽかとじんわりと響くような物語にしたいと思いながら書きました。
 ホスピス「ライオンの家」は、主人公である33歳の女性・海野うみのしずくと同じ境遇になったら、こんな場所で最後を迎えたいという私の理想を表現したものです。雫に迎えさせたかったのは“朗らかな死” です。病のため日々衰えていく体と反比例するように、内面は健やか、心が豊かに、どんどん幸福感が増していく、そんな死です。これまで人からどのように見られるのか気にして生きてきた雫にとって、死が目の前に迫ったことで、余計なものをぎ落とすことで心が裸になり、解放されていきます。人からの評価を意識することなく、自分自身の心地よさを最優先に考えることは、“朗らかな死” を迎えるために大切なことだと思います。

 「ライオンの家」では毎週日曜日に、もう一度食べたい「思い出のおやつ」をリクエストできる特別な時間があります。人は人生の最後に食べたいおやつに、感情や記憶など精神的な部分に引っかかるものを選ぶのではないでしょうか。生きる糧である食事とは異なり、おやつは必要ないものかもしれません。でも、私はおやつのある人生とない人生では全然違うと思います。おやつは喜びや楽しさなど幸せな時間、思い出と結び付き、五感や空間と共に鮮明に記憶されるのです。
 私の「最後に食べたいおやつ」は、祖母が作ってくれたホットケーキです。明治末期に生まれた祖母が作ってくれるおやつはいつも、おかきや古い饅頭まんじゅうを揚げたものなど、子どもにはちょっと地味過ぎるものばかりでした。お金を払って外で食べるお菓子の方に価値があると思い込み、不満を述べた冬の翌日、祖母がストーブの上にフライパンをのせてホットケーキを焼いてくれたのです。おそらく初めて作ってくれたのでしょう。不安げにフライパンをのぞき込みながらおっかなびっくりホットケーキを焼いている祖母の姿がとても印象的で、味覚よりも行為そのものが、家の中に漂うバターの焦げる香りと共に記憶に強く残っています。それは愛情込めて私を大事に育ててくれた祖母との記憶でもあるのです。
「最後に食べたいおやつ」を考えることは、自分の人生を振り返り、幸福な場面を掘り起こすこと。それは忘れかけていた掛け替えのない思い出に気づくことにもなります。自分が生きてきた時間を肯定することも、“朗らかな死” を迎えるためにも、大切なことなのです。

 この作品は死が大きなテーマであり、主人公・雫は死に向かっていきます。その姿を繊細に、丁寧に描くことで、逆に生の部分に光を当てる物語にもなり得るのです。死を見つめることは生を見つめること。今を生きること、何気なく行っていることが実はとても奇跡的なものの上に成り立っていることを読者に感じてもらいたい。母は余命宣告後間もなくに亡くなりましたが、お見舞いに行くことで、私の心の中で距離があった母のことをいとおしいと思えるようになりました。死によって生前よりも母への愛情を感じ得ることができました。作品を書いている途中、私より若い友人を癌で亡くしました。お酒を飲みながら「死んだらどうなる」という話をしていたのですが、それらの時間は作品に反映されたと思います。
 私の書いた物語が読者にとって生きるための実用書になればと願っています。人生に深く関わり、辛い時や苦しい時の励みになる。自分の書いた物語が読者の人生に作用していけたら、とても幸せなことだと思っています。

おがわ・いと

1973年、山形市生まれ。2008年、失恋のショックで声を失った女性が田舎で開いた食堂を舞台にした『食堂かたつむり』でデビュー。以降、エッセー、共著、海外翻訳を含め30冊以上の本を出版。食べること、生きることを主題にした作品が多い。映像化された作品も多く、10年に『食堂かたつむり』が映画化、12年に『つるかめ助産院』、17年に『ツバキ文具店』がNHKでテレビドラマ化された。2019年の『ライオンのおやつ』は現在、発行部数18万部を突破。3年前よりドイツ・ベルリンにも生活の拠点を持つ。『ライオンのおやつ』は現地で初めて執筆した作品。ウェブサイト「糸通信」 https://ogawa-ito.com/

ページトップへ