私のオピニオン
佐藤 優

Sato Masaru
作家、元外務省主任分析官

自著を語る
「異質な世界」を旅して人生を学んだ、十五の夏

私の進路を誘導しなかった両親

 私の父は2000年11月、母は2010年7月に他界した。母が死んでからしばらくして、父のことをよく思い出すようになった。父は、工業高校の夜間部を卒業した後、東京帝国大学工学部にレーダー実験の下働きをする職員として勤務していた。1945年3月10日の東京大空襲に江戸川区で遭遇したが、運良く生き残った。しかし、この空襲でもはや大学でも軍事研究ができない状態になった、父は召集され、陸軍航空隊に通信兵として勤務した。復員後はしばらく親族を頼り福島県で暮らしていたが、水が合わず、沖縄に渡り電気技師として嘉手納飛行場の建設に従事した。
 母は、沖縄本島の西100キロメートルにある久米島の出身だ。女学校2 年生だった14歳のときに沖縄戦に遭遇し、九死に一生を得た。母は生涯独身を通し、保健師となり沖縄の離島で勤務したいと考え、コザ市(現沖縄市)の看護学校に入学した。看護学校2 年生のときに父と知り合い、本土に渡る決意をした。母は戦後、キリスト教の洗礼を受けてプロテスタント教徒になるとともに絶対的平和主義者となり、社会党の熱心な支持者になった。父は、東京で都市銀行の電気技師としての職を得た。父は典型的なノンポリで、宗教も信じていなかった。
 母は私が将来、新聞記者になることを父は技術者になることを望んでいた。ただし、私に進路を誘導するようなことはしなかった。父も母も私が大学に進学することを望んでいたが、高等教育を立身出世の手段とは考えていなかった。
 両親は異口同音に「国家もマスコミも国民をだます。そのときに高等教育を受けていると、自分で判断することができる。戦時中も大学を卒業していた人たちは、日本が負けるとわかっていた。高等教育を受けていると命に関わるときの判断を間違えずに済む」と言っていた。
 母が政治、歴史、文学に強い関心を持っていたのに対し、父はそのような話題には関心がなかった。父の本棚には、電気技術の本しか並んでいなかった。父の唯一の趣味は、油絵を描くことだった。小学生の頃、父から繰り返し、こんなことを言われた。「お父さんは、子どもの頃、絵描きになりたいと思っていた。しかし、家が貧乏なのでその可能性はないと最初から諦めていた。優君は、お母さんと比べて、お父さんの視野が狭いと感じていると思う。確かにそうだと思う。お父さんは、一生懸命働いて、お母さんと優君と純子ちゃん(2歳下の妹)の生活を守ることがいちばん大切と思っている。優君はお父さんの考えにとらわれず、自由に生きてほしい」。

あの夏の旅で「未来の私」を経験

『十五の夏』(上下2巻、幻冬舎文庫)は、私が埼玉県立浦和高校1年生の夏休みに40日間をかけて、スイス、チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ソ連を旅行したときの記録だ。当時、高校生の海外旅行は珍しかった。英語の勉強で夏休みにアメリカに団体で渡航する例はときどきあったが、ソ連・東欧という社会主義圏に1人旅をするというのは、異例だったと思う。
 15歳というのは微妙な年齢だ。新聞や本の内容は理解できる。しかし、あくまで字面の上だけの理解で、経験値による裏付けが欠けている。『十五の夏』で詳述したが、旅行の準備過程でも、旅先でも、私はよい大人たちに助けられた。この旅行を通じて、私は他人の経験から学ぶ技法を無自覚のうちに身につけたのだと思う。この経験が同志社大学神学部と大学院で組織神学(キリスト教の理論)を学ぶときにも役立った。キリスト教批判で有名な唯物論哲学者のフォイエルバッハは、神学の本質は人間学であるといったが、この見方は正しいと思う。私が人間に関心を強く持つようになったのは、高校1年生のときのソ連・東欧旅行で、二重の意味での異質な要素に触れたからと思う。二重の意味とは、アジアの国である日本とは異質のヨーロッパという要素と資本主義体制と異質な社会主義という要素を指す。
 今になって振り返ると、父は、あえて異質な世界を旅させることによって息子に今後の人生で起きる事柄についての予行演習をさせたのだと思う。
 高校時代、大学時代にマルクス主義に関心を持ったが、共産主義に対する憧れを私が持たなかったのも、この目で現実に存在する社会主義国を見たことが大きい。また、外交官になってからも、「社会主義国のソ連では友だちはできない。近寄ってくるロシア人はKGB(ソ連国家保安委員会=秘密警察)のスパイだ」と頭から決めてかかり、ソ連社会に背を向けた外務省の先輩と異なる態度を私がとり、ロシア社会に食い込んでいくことができたのも、あの夏の旅行によるところが大きい。
 私の未来に起きる出来事のすべてが『十五の夏』に描かれた世界の中に含まれていたように思えてならない。

さとう・まさる

1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務等を経て、国際情報局分析第一課主任分析官として活躍。2002年背任等の容疑で逮捕、起訴され、09年上告棄却で執行猶予確定。13年に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『私のマルクス』『先生と私』などがある。

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