私のオピニオン
河瀨 直美

Kawase Naomi
映画監督

養母が教えてくれた
この世界の美しさを発見すること

物言わぬものに宿る命を敬する

 1969年の春、私はこの世に生を受けた。縁あって奈良市にある国立病院の一室で産声をあげたあと、母の叔母にあたる河瀨家で育てられることになる。
 母はまだこの時24歳の若さで、父とはすでに別居をしていた。彼らの離婚が成立したのは私が1歳半の頃。母は子供のいなかったこの叔母夫婦に私を預けると、自分の人生を取り返すかのように、自立していった。
 初期のプライベートドキュメンタリー制作では、父を探しながら自身のアイデンティティを確かめ、養母とのなんでもない日常に世界の美しさが隠されていることを知ることとなった。
 血のつながりとはなんだろう。家族とは。その問いかけは、おのずと養母との生活の中に答えが見つかり始める。一つ屋根の下に暮らす人とご飯を食べ、眠りにつくことを繰り返し、家族は創られてゆく。かけがえのない時間はふりかえったときに、そこに確かにあったものなのだと痛感する。
 養母は97歳の天寿を全うした。
 なかなか妊娠ができなかった時、ふたりで暮らす家の玄関に立ち、空にぽっかりと浮かんだ三日月を見上げながら、養母の肩を抱いて心で祈った「この家に新しい命がやってきますように」。程なくして身ごもった私に養母は言った。「あんたのことは可愛かわいいよ。生まれてくる子よりも、今はあんたが可愛い」。庭いじりをしながら養母がつぶやいた声が、今でもはっきり耳の奥で響いている。
 とはいえ、息子が生まれてから養母の息子への愛情は日毎ひごとに増してゆく。一緒にお風呂に入りながらふざけあう二人。柚子湯の匂い。二人とも春の陽気に誘われてお昼寝している昼下がり。私は、そんな光景が永遠に続けばいいのにと願っていた。けれど、その日は無常にもやってくる。2012年2月10日。養母は彼女の母と同じ日に、この世を去った。最後の言葉は「美味おいしい」だった。夕食を食べた後、眠るように逝った。まだぬくもりのある肌に触れながら、静かな涙を流した。ゆっくりおやすみなさい。息子は6歳にして、人が逝くことを知った。
 生きとし生けるものに宿る命が、人間のそれだけにとどまらないことを養母は私に教えてくれたように思う。晩年は認知症でもあり、コミュニケーションが取れない時もあったが、彼女に触れてもらうと、疲れが和らぐ感覚を得た。小さな畑を切り盛りしていた頃、彼女がその葉っぱなどに触れて、野菜に語りかける姿をよく目にした。庭にたくさんの植木があり、挿し木をして増やしてゆくのも得意だった。物言わぬものに宿る命は、人間のためだけのそれではないことを彼女は知っていたのだろう。語りかけ、敬い、時間を重ねてゆくことにより生み出されるものの豊かさを、あの時代の人々は知っていたのだと思う。

私の中のあなたを確認すること

 今、小さなウィルスによって、世界的パンデミックに陥った人類は、何に気づき、何をよしとして、これからの時間を過ごせばいいのだろう。自国ファースト、他者への言動に思いやりを欠いたことによる分断。リーダーの資質によって、この世界はどのようなものにも変容する。そもそも、人は一人では生きられない。とても弱い存在である。ライオンよりも早く走れないし、鳥のように空を飛ぶこともできない。ならば誰かと共に生きてゆく有り様を考えたい。
 1300年ほど前に奈良の都では天然痘の流行とともに、人々の暮らしが脅かされていた。時の権力者である聖武天皇様は、私の政治が悪いからこのようなことになっている。だから、国民皆の力を借りて大仏様を建立したいと詔を出された。そうして当時の人口の半数が大仏建立という国家事業に関わり現在に至る。この1300年の歴史のはざまで、戦火にあっても必ず再建されるのは、時の権力者が自分だけの権力の象徴を意味する大仏様ではなく、世界の人々の総意によって造られる大仏様という形を貫き、建立されたからこそだと思う。
 2020年世界はパンデミックに陥った。先行きが不透明で答えのない世界にあって、心が行き場を失った。しかし、日本人は強制的な規制の元、と言うよりも、自らの役割としてこの難関を乗り越えようとしているように思う。マスクは自らを守るのと同時に、人様にうつさない所作でもある。こうして他者をおもんばかり、自らの行動を決める考えかたは、農作物を作っている人々に備わっている資質であると思っている。
 命を守ると言うことは、私の中のあなたを確認することでもある。自らの作ったものが誰かの手に渡ってゆく旅を想像すること。それは命のバトンを渡すような行為でもある。私たちは地球という同じ船に乗った人類だ。この先の未来の扉を開くために必要なのは、きっと養母が私に教えてくれた、「あらゆるものの見方をして、この世界の美しさを発見する」ことにあるのだと信じている。

かわせ・なおみ

生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける。一貫した「リアリティ」の追求はドキュメンタリー、フィクションの域を越えて、カンヌ映画祭をはじめ、世界各国の映画祭での受賞多数。代表作は『萌の朱雀』『殯の森』『2つ目の窓』『あん』『光』など。最新作『朝が来る』は、カンヌ2020オフィシャルセレクション、第93回米アカデミー賞国際長編映画賞候補日本代表として選出、第45回報知映画賞監督賞受賞。「なら国際映画祭」において後進の育成にも力を入れる。東京2020オリンピック競技大会公式映画監督、2025年大阪・関西万博のプロデューサー兼シニアアドバイザーを務める他、CM演出、エッセー執筆などジャンルにこだわらず活動を続け、プライベートでは野菜やお米を作る一児の母。

公式HP:www.kawasenaomi.com
公式Instagram:@naomi.kawase

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