第1回 人生の岐路

中家徹のピンチをチャンスに!

中家徹会長によるコラム。「週刊新潮」にて2020年3月まで連載。

 8月に全国農業協同組合中央会会長に就任した。農業者の所得増大に力を入れ、JAが組合員や地域住民から「なくてはならない組織」になるために全力を尽くしたいと思っている。

 私は和歌山県田辺市の農家の長男として生まれた。ミカンや梅などを生産する果樹農家で、子どもの頃から家の手伝いを、相当してきた。ミカンの収穫をしたり、稲作の管理をしたり、農家の子弟であればそれが当然だった。今でこそ稲作も機械化されているが、昔は農家では牛を飼っていて、田や畑を牛の力で耕していた。物を運ぶ時もリヤカーに積んで牛に引かせたので、私は後ろから押すのだが、自宅前には坂道があったので苦労したのを覚えている。

失敗から学んだ厳しさ

 小学校4年生の時、収穫した梨を自宅から4キロほど離れた市場に出荷するので、おやじに「お前も一緒に来い」と言われた。当時は荷物運搬用の大きな自転車で運んでいたので、私は木箱に詰めた梨を荷台に乗せてペダルを踏んだ。その頃の道路は舗装されていないからガタガタだ。しかも重い荷物を積んでいたため、転ばないように自転車をこぐので精一杯だった。市場に着いて木箱のふたを開けると、私が運んだ梨は傷だらけ。一方、平らな所を選んで上手に走ったおやじの梨には傷一つない。農業の手伝いをする難しさ、厳しさを教えられたと思っている。

 高校時代はバレーボールに熱中し、体育の教師になるのが夢だった。体育大学の推薦入学にも合格し、おやじの許しも得ていた。しかし、農家の長男は後を継ぐものだと育てられ、両親からは先祖から受け継いだ田畑を減らしてはならないと教えられてきたことや、おやじとガタガタ道を自転車で走った思い出などが頭をよぎり、悩んだ末に体育大学への進学を断念した。大きな葛藤があったが、最終的には親を裏切ってはならないと思い直し、農業を選んだ。

 おやじからはその時、まだ若いから農協で勉強してはどうかと言われ、中学校の校長先生からは当時の協同組合短期大学への入学を勧められた。しかし、協同組合短期大学はあいにく閉校が決まっており、その代わり中央協同組合学園が新設されると聞いた。開校は翌年9月だったので、その間、地元の紀南農協で研修生として勉強させてもらうことになった。様々な部署を回って約1年半、農協で職員と同じように現場での経験を積ませてもらった。私の人生において非常にプラスになった時間だ。

(「週刊新潮」平成30年1月4日・11日新年特大号)

一覧に戻る
ページトップへ