第6回 あの日から7年

中家徹のピンチをチャンスに!

中家徹会長によるコラム。「週刊新潮」にて2020年3月まで連載。

 東日本大震災から7年が経とうとしている。我々JAグループは震災の当日から、対策本部を設置し、様々な支援を行ってきた。被災地への物資の供給、支援体制の構築に加え、東京電力福島第一原子力発電所の事故による損害賠償対策など、現在も支援を続けている。JAグループによる復興・再建義援金は約100億円、組合員・役職員による募金は約19億円となった。

 東日本大震災で特徴的なのが、原発事故の損害賠償対策だ。農畜産物の出荷停止や風評被害による価格暴落など、生産者が被った損害賠償を速やかに進めるために、各県の損害を全国協議会が取りまとめ、東京電力との交渉を進めるスキームを構築した。それまでJAには出荷しなかったり、お付き合いがなかったりした生産者も含めて、損害賠償請求のお手伝いをした。いち早くJAが窓口になり、前面に立って東電と交渉を行った結果、迅速に補償金を届けることができたのだ。

 JA共済は被害を受けた家屋再建のため、査定要員を全国から現地に派遣して共済金の支払いを速やかに行うことができた。

 また、全国から被災地へのボランティアを募るため、「JAグループ支援隊」を編成し、他県や全国組織から職員を派遣する取り組みも展開した。私の地元・和歌山県JA紀南の職員も派遣したが、帰任後、彼らは涙ながらに現地の様子を報告してくれた。JAの相互扶助の精神を被災地の現場で身をもって体験したようだ。

風化させない決意

 会長就任後、被災県を訪ねた。家族も家も亡くしたにもかかわらず、組合員のために駆け回ったJA職員の話や、互いに米を出し合い炊き出しをして避難所に届けたJAの話を伺い、「相互扶助組織」としてのJAの底力を改めて感じた。

これまでも大規模な自然災害が発生した際、グループを挙げた支援を行っており、2016年4月に発生した熊本地震の際も、地元の方々に「JAの力はすごかった」とお褒めの言葉をいただいた。

 JAは災害時に施設を避難所として提供できるよう、自治体と協定を結んだり、JA間で支援物資を供給しやすくするための災害協定を取り交わしたり、震災の教訓を生かした取り組みを全国で展開している。どんなに時を経ても、震災を風化させてはならないし、そのための取り組みを変わらずに続けていく。それがJAの社会的責任だと思う。

(「週刊新潮」平成30年3月15日号)

被災した水路の復旧にも支援隊が活躍。

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