第13回 父母の魂 脈々と

中家徹のピンチをチャンスに!

中家徹会長によるコラム。「週刊新潮」にて2020年3月まで連載。

 今年は明治元年(1868年)から150年という大きな節目の年に当たる。明治以降、日本は近代化に向かって様々な取り組みを進めた。我々の農業協同組合をはじめ、生協、信用組合など協同組合組織の母体も、1900年に法制化された産業組合に始まるが、これには欧州で生まれた思想が宿っている。

協同組合の産声はイギリスで

 協同組合の歴史をたどると、19世紀のイギリスにさかのぼる。世界に先駆けて産業革命が起きたイギリスのロッチデールという町で、苦しい生活を強いられていた労働者が自らの暮らしを協同して守ろうと「ロッチデール公正先駆者組合」を立ち上げた。組合員の自主性を基本に、運営に当たっての原則(ロッチデール原則)を定めた。この原則は世界の協同組合に受け継がれたことから、ロッチデール公正先駆者組合は「協同組合の母」と呼ばれている。

 もう一つ、忘れてはならないのが、「協同組合の父」と言われるドイツの小さな町の市長、ライファイゼンだ。「一人は万人のために、万人は一人のために」と呼び掛けたライファイゼンは、高利貸しに対抗する農村信用組合設立の指導者として奔走した。

 日本での協同組合の思想は江戸時代末期に芽生え、農村協同組織が各地で設立された。二宮尊徳(にのみやそんとく)が中心となり報徳社を、大原幽学(おおはらゆうがく)が先祖株組合を立ち上げたのがその代表だ。明治維新を迎え、当時内務官僚だった品川弥二郎(しながわやじろう)と平田東助(ひらたとうすけ)は紆余曲折を経て、ドイツで学んだライファイゼンの農村信用組合に倣った産業組合法案を上程し、成立。日本の本格的な協同組合の幕開けとなった。

 産業組合は各地で設立が進み、1910年にはJA全中の前身となる産業組合中央会ができた。1933年からは「産業組合拡充5か年計画」が実施され、信用、販売、購買、利用事業の兼営などが促進されたが、農家と肥料や資材の取引をしていた商人たちから、産業組合が自分たちの商売を妨害していると主張する運動「反産運動」が起こった。その頃、産業組合中央会に在籍し、戦後に農商大臣を務めた千石興太郎(せんごくこうたろう)らは反産運動に対抗。農村青年組織が結集し、大きな運動に発展した。

 先年、反産運動に対抗していた千石の1933年のものとみられる演説を収録したレコードが見つかった。約3分間の演説には千石の協同への熱い思いが込められていた。時代は変われど「相互扶助」「共存同栄」の精神は先人から受け継がれてきた。この魂を後世に伝えるのも我々の使命だ。

(「週刊新潮」平成30年7月11日号)

産業組合は全国で設立された。写真は広島県の大崎下島にあった、沖友産業組合のレモン用荷札。

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