第22回 育てる仕事

中家徹のピンチをチャンスに!

中家徹会長によるコラム。「週刊新潮」にて2020年3月まで連載。

 9月中旬に東京都町田市にあるJA全国教育センターを訪れた。ここには今はなくなってしまったが、中央協同組合学園という私の母校があった。当時と変わらない校舎を久しぶりに目にして、懐かしさがこみ上げてきた。

 私は1969年9月、中央協同組合学園に第1期生として入学した。学園の源流は1926年、東京・牛込に設立された「産業組合中央会附属産業組合学校」まで遡る。その後、「中央農業会附属農業学校」「協同組合学校」「協同組合短期大学」を経て中央協同組合学園となった。

 JAは産業組合だった頃から教育に力を注いできた。産業組合学校は、産業組合会頭だった志村源太郎(農商務省局長、日本勧業銀行総裁などを歴任)が私財を投じてつくった。また、1911年には当時、産業組合中央会会頭だった平田東助が明治天皇から産業組合の功績を讃えられ御下賜金2万円(現在の約4億円に相当)を拝領し、恩賜財産として永久管理することを決めた。これは今もJA全中に引き継がれ、国庫補助金と併せて恩賜奨学基金として学園の奨学金やJAに関する研究の振興に充てられてきた。

 このようにたくさんの先人の想いが詰まった学び舎で私は3年間、教育を受けた。4人部屋の全寮制で、1年目は北海道、愛知、長崎から来た同級生と寝食を共にした。全員が田舎から出てきたので、最初は言葉がわからず苦労した。しかし、同じ釜の飯を食べ、いろいろな議論を交わしてきたので絆が深まった。

今こそ人財の育成を

 学園開校時の全中会長は宮脇朝男氏。宮脇会長はよく「ここは農協運動者を育てるのだ」と熱弁をふるっていた。最近、農協運動者という言葉があまり使われなくなったが、改めて農協運動者の意識を持たなければならないし、育てなければならないと強く思う。

 農協運動とは、組合員や役職員が、JAの活動に参加したり事業を利用して協同活動を展開することで、よりよい農業と地域を創っていくことだ。私達JA役職員は農協運動者として、そのことを一層理解し、組合員に伝えていかなければならない。

 そのためには、農業や地域への情熱を持った人材を育てることが非常に重要だ。私も農協運動者の一人として、宮脇会長の想いを受け継ぎ、全力を尽くしたい。

(「週刊新潮」平成30年11月22日号)

中央協同組合学園の源流、産業組合中央会附属産業組合学校の開設当初の校舎。

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