どのご家庭でも新年を迎える準備に追われているだろうが、私の子どもの頃に比べて近頃は年の瀬ならではの営みが簡略化されているように思う。門松やしめ飾りも手作りが当たり前だったが、今は自ら作ることはほとんどしなくなった。大掃除も昔は家中の畳を上げて外に干していたので、大仕事だった。しかし、子どもだった私は密かに大掃除が楽しみだった。なぜか。それは畳を上げると、その間から小銭が必ず出てきたからだ。お年玉をもらう前の臨時収入によって大掃除をするモチベーションが一気に上がり、率先して手伝ったことは言うまでもない。
今でこそ、金融機関も年末年始は窓口業務を行わないが、私が地元・和歌山県の紀南農協に就職した頃は、31日も営業をしていた。商売をしている人は大晦日にも売上があったし、神社仏閣では御賽銭があったので、農協の職員がそれぞれ集金に出向き、預かったお金を夜になって「紅白歌合戦」の歌声や「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聴きながら数えたものだ。
以前は8月と1月の年2回、「1日皆貯金」というキャンペーンを展開していた。1月の場合、12月中に組合員全戸に貯金用の現金を入れる袋を配布し、4日に職員が回収する。子どもたちはお年玉の貯金を心待ちにしていた。組合員からの貯金総額を当てるクイズを出し、正解者には賞品もあったので大人も楽しめる取り組みだった。現在は行っていないが、今も組合員から子どもの頃の1日皆貯金の思い出話を聞く度に、JAが組合員の暮らしと共に時間を重ねてこられたことを嬉しく思う。
今年は災害が多かったからこそ、来年は全ての農家が豊作を心から喜べる年になるように願っている。皆さまもどうか良いお年をお迎えください。
(「週刊新潮」平成31年1月3日・1月10日 新年特大号)