第31回 平成の農業を振り返って

中家徹のピンチをチャンスに!

中家徹会長によるコラム。「週刊新潮」にて2020年3月まで連載。

 まもなく、平成の時代が幕を閉じる。思うに、この平成の31年間の日本の農業を取り巻く情勢は、激動の連続だった。そう感じる出来事は大小さまざまあったが、一つ挙げるなら「貿易自由化」があるだろう。

 貿易自由化は、平成が始まる直前の1988年(昭和63年)に、米国との間で牛肉・オレンジの輸入数量制限の撤廃について合意に達したことに端を発している。翌1989年(平成元年)年にはガット・ウルグアイラウンドの交渉が本格化し、1993年(平成5年)に交渉妥結。コメのミニマムアクセス(最低輸入機会)の受け入れが決定した。

 自身のことを振り返ってみても、平成が始まった頃の思い出といえば、オレンジ輸入への対策に奔走したことだ。

 ご存じの通り、わがJA紀南のある和歌山県はみかんの大産地。みかん農家にとって、オレンジ自由化は死活問題だった。そこで、みかんを栽培する管内の組合員と膝を突き合わせて話し合い、もう一つの地域の看板である梅への転作を進めてもらったり、高付加価値化に取り組んだりした。質・量とも消費者のニーズに対応したことで、現在でも高品質なみかんを生産し続けている。これも産地としてまとまって行動できたからだろう。

持続可能な農業への道

 私はJA全中の会長に就任する以前から、JAは3つの大きな危機を抱えていると指摘してきた。すなわち、「農業・農村の危機」「JAの組織・事業・経営の危機」「協同組合の危機」である。平成は、この3つの危機が負のスパイラルとなって増幅した時代でもあった。

 例えば、平成元年に50%を割り、49%となった日本の食料自給率は、その後、下降の一途を辿るばかり。現在は38%と先進国中、最低レベルに落ち込んでいる。また、経営の効率化に対応するため、全国のJAの間で大きく進んだのが広域合併だ。平成元年時、約3700を数えたJAの数は現在では611(平成31年4月現在)となっている。経営基盤の強化を図るのはむろん大切だが、それにより協同組合の中核をなす助け合いの精神や農協らしさが無くなっては元も子もない。

 来たる時代は大規模農家から中小農家まで、多様な担い手が協力して地域農業を支えることが必要になる。それが持続可能な農業と豊かな地域社会を実現する唯一の道だ。私達は時代が変わっても、農業と地域のために、誠実に役割を果たしていきたい。

(「週刊新潮」令和元年5月2・9日 ゴールデンウィーク特大号)

古来、日本人に親しまれてきた梅の花。新元号「令和」も万葉集の「梅花の歌の序」にちなみ、定められた。(写真提供:JA紀南)

一覧に戻る
ページトップへ