第42回 組織を変えた新たな船出

中家徹のピンチをチャンスに!

中家徹会長によるコラム。「週刊新潮」にて2020年3月まで連載。

 年頭に小欄で今年は節目の年になると申し上げた。令和の新時代が始まったこともあるが、私が会長を務める全国農業協同組合中央会(JA全中)も先月、大きな節目を迎えた。全中はこれまで農協法に規定される団体だった。しかし、法改正に伴い、9月30日に一般社団法人(一社)に組織変更をした。65年にわたり農協法に基づく団体として歩んできたが、組織を変えて新たなスタートを切った。

 ここで全中の歴史を振り返ってみたい。大きな節目となったのは、1900年の産業組合法の制定だ。これを受けて1910年、全中の前身となる「産業組合中央会」が設立された。産業組合は「共存同栄」「相互扶助」を掲げた日本で最初の近代的協同組合だった。産業組合と言うだけあって農協以外にも信用組合や生協なども含まれた組織だ。この年、営農指導を行っていた農会の全国組織「帝国農会」も設立。帝国農会は指導的な役割を担っていたので、その意味ではこちらも全中の源流といえる。

 その後、産業組合中央会と帝国農会は1943年に統合。「中央農業会」と名を改めたが、太平洋戦争末期に「戦時農業団」と改称して終戦を迎えた。戦後の混乱期を経て、1947年、農協法が制定され、現在の農協が誕生したが、デフレによる不況で新生農協の多くは1950年代初頭に経営不振に陥った。こうした農協の経営を改善し、農業振興を図ろうと1954年に設立されたのが全中だ。以降、農協(JA)グループの独立的な総合指導機関として事業を行ってきた。

協同組合の精神は永遠に

 新たなJA全中の在り方について、これまで数年にわたり全国のJAや連合会などと議論を重ねてきた。その結果、組織変更後は「代表」「総合調整」「経営相談」の3つの機能を担うことになった。代表機能はグループ全体としての対外的な活動や広報。総合調整機能は経済や信用、共済などJAが手掛ける多岐にわたる事業を調整することで円滑な業務運営につなげようというもの。そして3つ目の経営相談は、自己改革や経営基盤強化に取り組むJAを支援する機能だ。これまで会員だったJAや連合会などの団体も全て引き続き会員となった。

 一社になっても、協同組合であることに変わりはない。持続可能な農業と豊かな地域社会を築く思い、「共存同栄」「相互扶助」の精神を持ち続け、不易流行の姿勢で会員から求められる役割を誠実に果たしていきたい。

(「週刊新潮」令和元年10月17日 菊見月増大号)

昭和3(1928)年、東京・牛込揚場町にあった頃の産業組合中央会の事務室の様子。昭和2年末時点で、市町村数約12000に対し、約14000の組合がすでに設立されていた。

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